Buriramにお住まいのNinja Qさんから本遺跡について貴重な情報を頂きました。
私にとって、その情報は非常に興味深く、気になる情報でしたので、ここで紹介します。
興味深い点は、A.王道沿いの遺跡で有る事と、B.祠堂の配置、そして、C.たくさんの小さな池がある事です。
以下が、Ninjya Qさんから頂いた
Prasat La Lom Thomの平面図情報
です。
A.王道沿いの遺跡
平面図の⑫にあるは「道」、Suは「へ」、Phraは「聖なる」、Nakhonは「都市」と言う意味です。
よって「聖なる都への道」と訳すべきでしょうか。
聖なる都は、クメールの都を指し、この道は、王都へ続く道であったのだと思います。
そしてこの王道沿いには、鉱石の採掘場⑬がありました。
ここで言う鉱石は何だったのかわかりませんが、クメール帝国にとって利益を得る物資を運ぶ為の道として
発達したのだと思います。
但し、アンコールからTa Muanを経由し、Ban Bu、そして、Phimaiへと直線的に続く王道と、その近くではあるが、少し方角がずれており、王道から枝分かれした支道であったのではないかと思っています。
B.祠堂の配置
この遺跡の平面図の情報によると、主祠堂が1基、副祠堂が2基ですが、
この平面図の情報が正しいとすると、非常に珍しいと思います。
私が知っている祠堂の配置は、大きく以下の5タイプです。
a. 1基祠堂の配置(Prang Ku, Kuiti Rushi, Ta Muang Toch)
b. 1列3基祠堂の配置(Khao Noi, Ku Suan Taeng)
c. 前列3基、後列2基、計5基の配置(Muang Tam, Kampaeng Yai)
d. 対角4基、中央1基、計5基の配置(Sri Khoraphum, Angkor Wat)
e. 中央祠堂へ拝殿(Mandapa)が隣接した配置(Phanom Rung, Phimai, Muang Singh)
この遺跡の平面図を見ると、中央祠堂の南北に一基ずつの祠堂があり、
南北に3基の祠堂が並んだ、bの1列3基祠堂の配置のように見えます。
しかし、平面図の説明によると、中央祠堂の南北の建物は、控えの間②で、
副祠堂③は東にずれた南北にあったようです。3基の祠堂であるが、1列上に並んでない?
東に位置する2基の副祠堂③は経蔵だった可能性はないか?控えの間②が副祠堂だった可能性はないか?
自分の目で確かめてみたいが、この遺跡はほとんど崩れており、調べる事は難しい。
C.たくさんの小さな池
この遺跡の平面図をみると、多くの小さな池⑧が配置されています。
そして遺跡の南北にはカラスの羽の形をした池⑦があります。
Ninja Qさんの説明では、
「水のある池はクーナームと書かれていますが、ヒンズー教の教えでは幸いがあるということから、カラスの羽の形をしているのだそうです。」との事。
池の形にも意味があったんですね!
そして、なぜ、こんなにたくさんの小さな池があるのか?何の為?
こんな例は、あまりないのではないかと思います。
最後に、Nimja Qさん、貴重な情報、本当にありがとうございました。